シャムスカ解任には私は賛成です
確かにシャムスカには夢を見せてもらった、
だがシャムスカはあまりにも戦術がなかった。
そのことには着任1年目には気づいていた。
それでも信じていた。
なんらかのミラクルな手腕を発揮してくれるのではないかと。
そのミラクルを見せてくれた2008
国立の舞台で夢を見せてもらった。
でも、それを見せてくれたのは選手たちのがんばりだった。
シャムスカマジックとは、(シャムスカイリュージョンといった方がいいのかもしれないが
)
選手だけではなく、メディアやサポーターや他チームの人たちもかかるものだったらしい。
まるで彼への批判はご法度というように。
みんな、シャムスカに夢を見すぎです。
シャムスカファンやシャムスカ信者はこの日記に怒りを感じるかもしれないですが、
はっきり書きます
シャムスカは試合中に関しては無策です。
確かに試合までの選手の心理操作や試合までの相手チームのスカウティングの能力はありますが、試合中に関しては無策です。
毎回、30分過ぎてからの選手交代、
それも、私でも推測できる交代しか出来ない。
(言い換えれば相手チームの監督には読まれている)
不調でも固定した先発メンバー
綿密なスカウティングのため、相手が別の手でくるとそれに対処できない
(まるで大学受験対策勉強のように応用が利かない)
こちらの決め手を封じられると次の手がない。
数え上げれば多々ありますが、
昨年の後半から日記にあまり試合について書かなくなったのは、
上の事を繰り返し書くことになるのが嫌になったから。
何度も書きますが、シャムスカには本当に感謝してるんですよ
ただ、トリニータの躍進はシャムスカの手腕によるものというよりも
ボランチであるエジ+(トゥーリオ&ホベルト)の働きによるもののほうが大きいと思うんですね。
各年の試合の結果を見るとそれは如実にわかります。
特にはっきりしているのが
シャムスカがいても、芝がそこそこ良くても低迷していた2007年の前半、
なぜ低迷していたのか?
2006年の契約更新で、エジもトゥーリオもいなくなりました。
契約年数や金額の折り合いが無理だったと言われてます。
シャムスカの推薦で加入したブラジル人はまったく機能せず、2007年前半は危機的状況に。
エジに戻ってきてもらい、慎吾とホベルトの加入でリベンジと謳い、降格を免れてます。
下に年表を書いてみました。
◆シャムスカ就任後の大分トリニータでの戦績
※2005年9月10日〜2009年7月14日2005年 J1リーグ 11位(第23節以降) 7勝3分2敗
ちなみにシャムスカ監督は9月10日の浦和戦から指揮を執ってますが、
[2005/8]トゥーリオ選手獲得
[2005/8/10] エジミウソン選手 獲得(エジは2003年に加入し残留に貢献)
というオプションがありました。
2006年 J1リーグ 8位 13勝8分13敗
2006年度末の契約更新でエジミウソン・トゥーリオ解雇
[2007/01/15]エジミウソン選手 退団
[2007/01/15]トゥーリオ選手 退団
[2007/01/26]梅崎司 グルノーブルへ移籍2007年 J1リーグ 14位 12勝5分17敗
[2007/07/16]鈴木慎吾選手 期限付き移籍にて獲得
[2007/07/17]セルジーニョ選手 契約解除
[2007/07/17]ジュニオール マラニョン選手 契約解除
[2007/07/19]7月19日大分入りしたエジミウソン選手が急遽、練習参加
[2007/07/20]ホベルト選手7月19日夜大分入、7月20日練習参加
[2007/08/03]大分トリニータ 後半戦巻き返しプロジェクト 「リベンジ16」
http://www.oita-trinita.co.jp/information.php?_mode=detail&id=111219節8/11の東京戦からリベンジ(それまでは4勝5分9敗)
2008年 J1リーグ 4位 16勝8分10敗 ナビスコカップ 優勝
2009年 J1リーグ 18位(第17節まで) 1勝1分15敗
4月19日(日)J1第6節ホベルト負傷(以降出場できず)
5月9日(土)J1第11節エジミウソン負傷
トリニータというチームを愛しているからこそ、
試合を冷静に見るようになったからこそ、
監督に総てをゆだねてはダメだと、
ファンボを更迭したとき思ったんじゃなかった?
シャムスカでも同じ事だよ。
夢から醒める時が遅すぎだよ。
そろそろ夢から醒めなくっちゃ
でも、次のステップに進まなきゃ。
大分トリニータを愛してるんだもの。
私たちは監督が変わろうが、私たちのトリニータを愛し続けるのだから。
蛇足ですが、
トゥーリオに関してはシャムスカとは少なからぬ確執があったのかもしれない
http://saku8.hp.infoseek.co.jp/column07page.htm
クラブへの貢献度はかなり高く、ラモンと並んで「ボタフォゴ改革元年」のキーマン的扱いをされていたはずなのだが、割にあっさり放出されそうな気配が漂う。
ボタフォゴが「改革者」として選手たちの評判が良かったグスマン監督を代えたこと、7月に入りボタフォゴがヴォルタ・レドンダから同じボランチのジョニウソンを
シャムスカの推薦で正規に獲得したことも何か関連があるのかもしれない。